毎年、お中元や夏ギフトの時期が過ぎると、スーパーや百貨店は、おばあちゃん、おじいちゃんへのプレゼントの売場を設置しますね。
敬老の日は、国民の祝日に関する法律により、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」と定められています。
当たり前のように、毎年9月の第3月曜日にお祝いされている敬老の日。
敬老の日が何故できたのか、敬老の日の由来、歴史、そして、敬老の日が、9月の第3月曜日に定められた理由を紹介します。
敬老の日の由来
敬老の日の由来は3つあるといわれています。
1.聖徳太子の悲田院
奈良時代に聖徳太子は、大阪の四天王寺に、四箇院を設立しました。
四箇院は、敬田院、施薬院、療病院、非田院の4つの建物からできており、この中の非田院は、身寄りの無いお年寄りや身体の不自由なお年寄りを収容する役割をもっていました。
2.養老の滝
岐阜県養老町にある、養老の滝をご存知でしょうか?
今は人気の観光地になっている養老の滝が、敬老の日の発祥だという説があります。
父親は一日の中で晩酌を一番楽しみにしており、息子は父親のために、働いたお金を使って、お酒を買って帰ってあげていました。
しかし、お酒を買えない日が続き、息子が滝の傍で途方に暮れていたところ、滝から甘い香りが漂ってきました。
なんと、滝の水がお酒になっていたのです。
その日から毎晩、息子はお酒を酌んで父親に渡しました。
すると、身体が不自由だった父親が歩けるようになったのです。
この孝行話が村中に広がり、やがて、当時の天皇(元正天皇)の耳にも入り、天皇が717年9月20日にこの滝を訪れました。
天皇は滝の水がお酒であることを確かめ、孝行話に改めて感銘を受け、息子の父親を大切に思う気持ちが天に届いたのだと考え、滝のある地を「養老」と名付けました。
3.兵庫県の「敬老会」
最も有力な説は、兵庫県の野間谷村(現在の多可町)が開催した「敬老会」が発祥だという説です。
1947年に、村長が「老人を大切にし、年寄りの知恵を拝借して、村づくりをしよう」と考え、先述した「養老の滝」の伝説にちなんで、9月15日に敬老会を開きました。
この日にちは、農閑期で、気候が良く、皆が集いやすかったことも、選んだ理由の一つだといわれています。
戦時中に子どもを戦場へ見送った親をいたわりたいという考えから、55歳以上の人を対象としたそうです。
敬老の日の歴史
先述したとおり、1947年から、兵庫県の野間谷村で敬老会が開催されていました。
翌年の1948年に、「こどもの日」、「成人の日」が制定され、野間谷村の村長は、「子ども、成人のための日があるのに、お年寄りのための日がないのはおかしい」として、その年の9月15日に開催した第2回敬老会で、村独自の祝日として、9月15日を「としよりの日」に制定することを提唱しました。
この考えが村から兵庫県全域に伝わって、賛同の声が多く上がり、1950年になると、兵庫県が村に同じく「としよりの日」を制定しました。
やがて、日本全国で「としよりの日」の制定を求める運動が起き、翌年の1951年には、中央社会福祉協議会(現在の全国社会福祉協議会)が「としよりの日」を制定しました。
こうして、日本人にとって、9月15日は老人を敬う日となりますが、「としよりの日」というのは、聞こえが良くないですよね。
今度は、「としより」という言葉を変えるよう求める運動が起こり、1963年に制定された老人福祉法で、「としよりの日」は「老人の日」となります。
更に、1966年に、国民の祝日に関する法律が改正されて、「敬老の日」に変わり、国民の祝日として制定されました。
敬老の日が、9月の第3月曜日に定められた理由
先述したとおり、敬老の日はもともと9月15日でした。
何故、9月の第3月曜日に変わったのでしょうか。
それは、2001年に祝日法が改正され、「ハッピーマンデー制度」が実施されることになったためです。
これにより、成人の日、体育の日、海の日、そして、敬老の日が月曜日に移動することになったのです。
具体的には、2003年から、敬老の日は9月の第3月曜日となりましたが、同年は9月の第3月曜日が偶然9月15日だったので、9月15日以外の日付になったのは、翌年の2004年からでした。
最後に
敬老の日の由来には諸説あり、どの説が本当の由来かは定かではありません。
ただ、どの説も、お年寄りを敬うエピソードが入っていますね。
由来、現在の敬老の日に至るまでの歴史を知ることで、おばあちゃん、おじいちゃんを大切に思う気持ちが、より一層強まったのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。